東京高等裁判所 昭和56年(ネ)1884号 判決
一般に、持参人払式小切手は、交付のみによって譲渡され、金銭支払の手段として流通することが予定されているものであること、商取引において支払のために小切手を受領する者は、相手方がこれを所持するに至った経緯について疑念を抱くべき特段の事情のない限り、一々右の経緯を調査することを要しないというべきである。また、一般線引小切手は、不正な所持人への支払を防止するために、支払を受ける者の資格を制限するものではあるが、その譲渡方法自体は通常の小切手と異ならず、その取得者は、支払人との間に直接の取引関係がなくとも、銀行取引を有するものである限り、自己の取引銀行に取立を委任して小切手金の支払を受けることができるのであるから、その流通性が事実上も右の限度を超えて制限されるわけではなく、したがって、線引小切手であるからといって、これを取得するについて取引上格別の注意を要するものではないと解される。本件において、前記認定の事実関係によれば、控訴人は、婦人服等の小売商に対する店頭販売を通常の営業方法とし、その支払は現金のほか小切手でなされることも少なくなかったのであって、本件小切手取得の際の前記婦人客との取引も通常の取引方法と異ならず、取引額も異常に高額とはいえないものであり、しかも、右婦人客は以前にも控訴人の店頭で現金買いをしていて、住所氏名等は知れなくとも婦人服等の小商売を営む者と推測しうるものであったから、同人が第三者振出とはいえ小切手を所持している事情について、応待した控訴人の店員らが疑念を抱くことが当然であったとはいえず、また店頭売買の性質上、小切手取得前に一々所持人の身元やその入手経路等を調査するよう要求することも相当でないと考えられる。もっとも、前記のように、本件小切手の表面には「佐藤正商店殿」との記載があり(法律上無益な記載ではあるが)、また振出人は、その名称自体から、婦人服等の小売商と取引関係を有する可能性が乏しいと考えられるものであるから、これらの点から何らかの疑念を抱く余地がなかったとはいえないが、小切手の流通性という見地からすれば、控訴人の店員らが右の点に注意を払わなかったことをもって未だ著しく軽卒であったとまではいえない。なお、右婦人客がいったん商品の送付を依頼しながら前言をひるがえして持ち帰ったことに徴し、結果的に見れば、右婦人客の行為は全体として周到な計画の下に実行されたものであったと疑う余地が少なくないが、当時店員らが事の真相を看破しえなかったことをもって不注意として責めることは困難である。そのほかに、前示の疑念を抱いて然るべき特段の事情を見出すことはできない。
したがって、控訴人ないしその店員らが前記婦人客を正当な所持人と信じて同人から本件小切手を取得するにつき、重大な過失があったものとは認めるに足りないというべきである。
(井口 野田 藤浦)